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おにぎり ドメイン 虫歯 |
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日記 木曜 |
普段通りの時刻に家を出て、途中コンビニで雑誌とおにぎりを買って、会社で朝食。最近のコンビニおにぎりは柔らかく握ってある。柔らかいおにぎりロボットが握っているのだろう。柔らかいと食感は良いのだがぼろぼろ崩れて食べにくいのが難点だ。油断しているとデスクに落ちたご飯粒を鼠がさらっていく。「チュー gvhqe8 さんありがとう。チューチュー」家族にも知らせていないここのIDが鼠にはだだ漏れである事にしばし愕然とした。IT社会という言葉が頭に浮かぶ。
昼食はお弁当。いつもの事ながらおいしい。箸からこぼれたご飯粒を鼠が(後略)。
豆知識。ここ sa.yona.la というURLの la はラオスの国コード。お名前.comで取得可能。iku.laは空いていたのでイクラちゃんは取ると良いだろう。ついでに言うとお名前.comではベルギーの国コード be でドメインをとれる。渡辺さんは watana.be を取ると良いだろう。と思ったら取得済みのようだ。だったら atana.beを取得して、sa.yona.la に習って w.atana.be ではどうかと思ったらこれも取得済み。まあいいや。俺、渡辺じゃないし。
17時半に仕事を抜けて歯科に行ってきた。金属の下で虫歯が進行し、ぼろぼろになっていた。もう少しかよう。
おはようございまーす |
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日記 木曜 |
昨日は20時くらいに退出。晩ご飯は豆腐料理とサラダとモツカレー(ライスなし)。豆腐料理は普段はパスタにからめる秘密のソースを軽く炒めた豆腐にかけたもの。とてもうまかった。飲み物は発泡酒と缶カクテルと缶チューハイとワイン。
確か1時くらいに寝て、4時前に起きて、6時にまた寝て、7時過ぎに起きた。
今日の朝食はコンビニで買って会社で食べる事にする。
sa.yona.laのトップページを日に何度か眺めているが、なかなか同じ人の書いた物をまとめて読みたいというエントリに巡り会えない。IDの横の + を押してfavoritesに加えたのはまだひとりだけだ。俺の運が悪いのだろう。有り難い事に、俺がfavoritesに入れた事どころか誰かが加えた/加えてないを含めた被favorites情報が利用者に一切提供されていない。あくまで便利に使うための機能であって、利用者同士のしがらみを無駄に発生させないように作ってあるのだと思う。
スーツとか嘘とか |
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日記 水曜 |
スーツで自転車出勤。
歩道で信号待ちをしていたらちょっとした事故にあった。怪我はなかったし、自転車も無事だったのだが、会社にはちょっと遅れて出社した。今日客先に行く人達が皆スーツじゃない。やられた。一人だけスーツなのは避けたいのでネクタイと上着をおいて客先に行った。
戻ってきたのが13時過ぎ。昼食はお弁当。おいしかった。
雑談。別のブログに以前「絶対に嘘に決まってるんだけど、油断して読むと本当に見えなくもない雑学」を載せていた事がある。特に冗談だと断ることなく淡々と書いていたのだが、読めばまあ解るだろうくらいの軽い気持ちで載せていた。やっかいなのは、検索でたまたま来た人だ。例えば(実際には書いてないが)、適当な解説をつけて「袋に軽石を入れておくと普通のお米でも、3日ほどで無洗米になる」という記事を書いたとする。普段見に来てくれる人なら、また馬鹿な事言ってるよと思ってくれるのだが、ときどき「無洗米 作り方」で検索して来る人もいる。ブログの場合、前後の記事とかなしで表示されたりするので、特にうっかりと信じやすい。検索で来た人は、一瞬本気にしてからどうもおかしいと気付き「こいつは嘘を書いて騙そうとした。酷い奴だ」と怒るかもしれない。
アクセスログを見る楽しみのひとつだ。
今日も早めに帰ることにしよう(スーツで自転車で)。
惰性日記 |
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日記 火曜 |
昨夜は0時半過ぎに布団で寝た。早く寝たので起床は6時ちょっと前くらい。
朝食はまたカップ焼きそば。焼きそば率が高いので、少し控えよう。親知らずを抜いた事による食生活への影響はまだみられない。2~3日は食べられなくなるというのは嘘だったのではないだろうかと思い始めている。
朝に更新するのが日課になっているブログがある。写真を撮って解像度を下げてアップロードするだけのお手軽なブログだったのだが、対象物がワンショットでは収まらなくなって、写真の加工に手間がかかるようになった。撮影・取り込み・加工・アップロードの一連の作業に15分くらいかかる。朝は撮影だけにして夜に仕上げれば良いのかもしれないが、酔ってできない事が多い。何らかの技術革新を検討する必要がありそうだ。
昼食はお弁当。うまうま。
親知らず抜いた |
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日記 月曜 |
昼食は14時くらい。お弁当おいしい。
17時に仕事を抜けて歯科に行った。歩いて5分くらい。表面に薬を塗ってから、麻酔を打ってくれたので、麻酔の痛みはほとんどなかった。麻酔が効くのを待っている間、歯石を取ってもらう。金属を被せている奥歯の下で虫歯が相当進行している事が解った。こちらは次回。
歯石除去のあと、親知らずの抜歯。少し痛みはあったが、いつ抜けたか解らないくらい簡単に終わった。記念に写真を撮って良いですかと訊くと、持って帰って良いというので、ありがたく頂いた。といっても俺の歯なんだけど。
抜歯後の注意点は以下の通り:
・抜いた後の穴に溜まった血溜りを流さないように注意する事
・固まるまでは、反対側の歯で噛む事
・1週間くらいは歯磨きの際に、抜いた跡の周辺にブラシを当てない事
酒を飲むなとは言われなかった。こっちも訊かなかったんだけど。
麻酔は切れて1時間くらい経過したが、最初ちょっとずきずきしただけで痛みはほとんど無い。こんなに楽ならもっと早く抜いてもらうんだった。
歯の治療の後はいつもそう思う。
今日は早めに帰ろうかと思ったが、辛くないのでもう少し仕事を片付けてから帰ろうと思う。
抜歯直前 |
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日記 月曜 |
7時に起きた。朝食はコンビニで買ったサンドウィッチとおにぎり。多かった。ついでにイーバンクに金を入れておいた。
27時間テレビは合計で5~6時間ほど見た。たくさん見た方だと思う。やはり車にペイントして暴れるシーンが一番面白かった。あれなら誰が見ても文句はないだろう。それに比べて列島カーペットのつまらなさは…。
週末食べ過ぎたせいで体重が増えた。今週は少し減らそうと思う。都合の良い事に今日の夕方、親知らずを抜く予定なので数日は食事があまりとれないかもしれない。「親知らず 抜歯」で検索するといろいろ怖い報告が見つかって面白い。みな、抜いた後の痛みと格闘している。その人達の経験談によると数日は痛くて食事が取りにくいそうだ。週末に増えた分は取り戻せるかもしれない。
親知らずの痛みは先週から腫れを抑えるためにもらった薬を飲み続けた事で解決しているので、抜く動機が薄れている。今日の状態がずっと続くのなら、抜く必要はないとすら思えてきた。でも放っておいたらまた痛むに決まっていると自分に言い聞かせて歯科に行くことにする。どうせ抜いた後は腫れるんだから、痛いときに抜いてくれたら良いのに。
もう少ししてから昼食にする。今日もお弁当。
嫉妬 | g9e8mk | sa.yona.la |
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絶望 |
自分がどれほど最低なんだろうと思い返してみると、
そういえば昔から、
友人が出来ると、自分のしたい話を一方的にして、
相手の興味には一切関心を持たず、
そうやって相手を食いつぶすような付合い方をした挙げ句、3年ほどで喧嘩別れをしそのまま音信不通
というのを繰り返しているような気がする。
吸血鬼か俺は。
嫉妬 |
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自分にsa.yona.la |
恋人は有意義な人生を送っていて、
自分は無意味な人生を送っているから、
恋人に対して「もっと自分の為に時間を割いてくれ」と我侭を言うのは、
恋人の人生に嫉妬しているからなんだろう。
恋人の人生から時間を奪い、
自分の人生に逢瀬を加えることで、
お互いの人生の価値を少しでもすり寄せようとする、
我ながら反吐の出るような行為だ。
本当に、自分は死ねば良いと思う。
でも多分、今自分が死んでみて、
恋人の人生から自分が居なくなっても、
それでも恋人の人生の価値は、死ぬ直前の自分の人生よりも価値のある人生だろう。
まあ、だから今は死ぬつもりは無いけどね。
本当に、最低を通り越して、死ねば良いと思う。
Re: そんな俺は経済学部
象徴の貧困 |
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どんな人も、他人の言葉で自分の言葉を練り上げる工程があるはず。たとえば「受け売り」もその一つ。 どのような「他人の言葉」を取り入れたか、それが個性であり、「自分の言葉」を作るんじゃないかな。
それは確かに同意です。
個性があっても、それを語る言葉は外から取り入れなきゃならないですしね。
ただ、今のウェブを見ていると、他人の言葉を取り入れる「個性」そのものが危うくなっているような気もします。
「物があふれているのに心が満たされない」と誰もが口にしながら、そこから一歩も進めないのはなぜなのか。それは現在の資本主義がまさにその不満を搾取するからである。「本当の自分」「私らしさ」を求めようとすれば、市場はすかさず「あなただけの」「特別な」商品を提示してくる。このような消費、欲望の規格化を繰り返すうちに、その人の市場での位置も価値も定まり、やがて同じような嗜好を持つ者同士の自閉的な、自己批判能力に欠けたグループがあちこちにできあがる。それはもはや「われわれ」と呼べるような共同体——特異な「私」たちの拮抗によってダイナミックに姿を変えていけるような集団ではない。
格差社会や成果主義の結果、朝の電車内では日経新聞と「出来る人間の仕事術」のような本を読んでいるサラリーマンが増えている。
個人の多様性が尊重されながら、その背後では社会的淘汰圧の中で個人を容赦なく比較する。
特にウェブ。
今、先進国では物余りの時代だという。多様化の時代ともいわれる。基本的な物質的欲求が満たされ始めたため、人々のニーズは多様化し、マスプロダクションで生産されたものは売れなくなってきているのだ。人々は物を買うという行為の中でも、自分らしさを追求し始めた。自分らしさを表現し始めたということだ。
↑では、Web2.0といわれる昨今においては、全ての人間がその創造性を発展させ、自己表現を行うと言ってますが、それはひっくり返せばそうした「自己表現をしたがる事」自体が、作られた「象徴」としてある種の「流行」になってしまっています。
流行を嫌う人間は、現実社会にもウェブにも矜持を持って存在することが出来なくなりつつあるのではないか、という危惧が自分にはあります。
論文 |
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学問 |
自分は学者ではない。あくまで素人の学徒でしかない。
だが学術論文を目にする事の多いせいか、そこら辺に対して思う事がある。
言葉とは相互理解と物事の定義の為に用いられる。
だからある言葉はお互いがその意味を共有している必要がある。
特に学術論文となるとそこには正確性が求められるので、ある「言葉」の意味は極めて厳密なものになる。
そして学者は皆、そうした厳密な言葉で、自分の考える世の真理を説明している。
だが本当にそんな「他人の言葉」でその人の考えを正確に伝えられるのだろうか。
もちろんそれを正確に伝えるのが学者の力量であると言われればそうかもしれないが、
そもそも言葉が完全に事物を表象しきれるかというとそれは不可能だ。
そんな厳密だけれど不完全な言葉で自分の思考を表象できるのかといえば、それはまず無理と言って良い。
言葉というのはニュアンスの問題がある。
例え口語的でいい加減な表現でも人と人の間では理解が出来る。
むしろ自分の考えは自分の言葉で伝える方が、相手に正確に伝わると感じる事が多い。
相互理解を完璧にしようとして、厳密な言葉で自分の考えを語ろうとすると、かえって取りこぼしが生じてしまうというのは、ある種の皮肉なのかもしれない。
そしてウェブもまた、他人の言葉で他人に受け入れられる事を言う人間だけが、「価値のある人間」だとされる。
もちろんその事を完全に否定するつもりはない。
けれど、自分の言葉で自分の考えを純粋に伝える人間を「価値がない」と言われれば、それはおかしいと思う。
「他人の言葉で自分を語るな」
とあるアニメからの受け売りだが、Web2.0と言われるウェブの中で、自分の言葉で自分を語っている人間は、それほど注目を浴びていない。
それでも自分は、自分がここにいるから、自分の言葉で自分の存在を示す。
時間 |
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昔物理の時間に疑問に思ったのが
「時間とは線形の次元なのか」
という事だった。
我々が時間と呼ぶ次元、尺度は総じて線形をしている。
だからこの現実世界の時間について考えるときも、無意識的に線形のスキーマで捉えている。
でも時間って本当に「線」なんだろうか?
時間とは事物の「変化」である。なら「変化」は必ずしも線形でなければならないのか?
例えばルーターのライトを見てみると、ある光の点が明滅しているのが分かる。
我々はこの明滅を理解しようとすれば、「線」形のグラフを想像し横軸にtをとって縦軸に輝度をとることになる。
でも、実際のライトは、あくまである「点」が「変化」しているに過ぎない。
つまり「線形の時間」とは私達の脳が生んだ認知的現象だ。認知特性と言っても良いかもしれない。
そうしたスキーマが主観的な私達の「認知世界」で妥当性や整合性を持っていたとしても、
客観的な「現実世界」に適合できるかどうかは分からない。
つまり私達の脳内の「時間」と現実世界の「時間」の間には、我々の認知し得ないような差があるのではないだろうか。
もしかしたら、二次元の線じゃなくて一次元の点だったり、あるいはもっと違う次元体系なのかもしれない。
そんな懐疑を抱いていたら授業が終わってしまい、結局その学期のテストは散々だった。
自分を変えるという事 |
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絶望 |
自分は人として駄目だと思う。
そしてよく「変わらなきゃ」と強く思う。
実際そう思って過去に何度も自分を変えてきた。
だが、今になって気づく。
自分を変えるのは、人生をリセットするような物だと、
そして、人生をまっすぐ生きてる人に対して、自分は相当遅れてしまっていると。
要は梯子と螺旋階段の差みたいなもの。
同じ距離進んでも、梯子の方がずっと上に行ってしまっている。
そして自分はもう、その進んだ距離の差を詰められるような年齢ではない。
もうどうしようもないのだ。
だから今も、まっすぐに生きて輝いている人を見ると、
その人を正しいと感じる影で、心の何処かでは羨ましくも思ってしまう。
暗闇でドッキリ |
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日記 土曜 |
昨日は20時くらいに帰ったと思う。夕ご飯は豆腐を使ったふわふわしたお好み焼きともずく等。発泡酒と缶チューハイを飲んだ。寝たのは確か0時くらいの筈。比較的涼しかったのでフローリング睡眠の必要はなし。
今朝は6時半くらいに起きて本を読んだりしてた。朝ご飯はパンと目玉焼きと冷たいスープ。午前中は宅配便を待ちつつドラクエをしたり。昼から街に出て買い物。昼食はカツカレー、今日はルーが煮詰まってたのかちょっと濃かった。入荷日を間違えていたり、地震の影響で遅れていたり、目的にあった本がなかったりと欲しかった本がことごとく見つからず、今日はあまり買い物をしていない。
電気店で緑色の透明なプラスティックの箱を首からぶら下げている人がいたのだが、その箱の中にはポップコーンが入っていた。そう、双子の漫才師じゃなくて食べる方のポップコーン。ちょっと羨ましかった。でも俺ならジェリービーンズを入れるぜ。
ひとつも読んだことは無いけど「~が~に~を~するための10本(冊)」はもういいよ。タイトル見るだけでげんなりする。
今更だが、今回のタイトルは本文に関係なかった。申し訳ない。