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書きたいものと書けるもの |
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小説 novel |
趣味で、いや趣味というより「個人的主張」も入り交じっているけれど、とにかくそれで小説を書いていたりすると、常々ため息を吐きたくなることがある。
それは簡単に言えば書きたいモノと書けるモノの差だ。
こんなのが書きたい、あるいはこんなのが理想だ
そう思っている話が自分の中にはある。
だが実際自分で書いていくと、どうしても決まった方向性になってしまう。
それが自分に書けるモノということになる。
前者は、理想をコピーすれば安易に同様なものは書けるかもしれないが、
自分でオリジナルを書いていると、どうしても限界というか法則性が発生してしまう。
そして自分の書けるモノを受け入れられないと、どこまでも悩む事になる。
いつしか書きたいものと書けるもののギャップを埋める事は出来るのだろうか。
あるいは自分の書けるものを、素直に受け入れられる日がくるのだろうか。
理想の自分と現在の自分という悩みは誰もが一度は考える事だろう。
理想に近づこうとするのも正しいし、
今の自分を肯定して自分の道を進もうとするのも正しい。
ちなみに、個人的嫉妬と偏見に基づく区別だと、
華々しく誰にでも認められる天才は後者で、鬱屈した天才は前者である。
だからなのだろう。華々しく活躍している人を見ると、素直に笑えないのは。
Re: http://xmny3v.sa.yona.la/70
ニュアンス伝達力 |
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仮に実現したとして、邦題と英語タイトルの併記の良い所は、
タイトルの場合直訳では上手くいかないので(あるいは直訳不可能なので)、意訳がされると思いますが、
それを見て、
「ああ、日本語でこう言いたい時は、こんな感じのニュアンスとして意訳するんだ」
という、ニュアンス伝達力が身に付くのではないか、という点だと思いました。
自分が英語習得を迫られた時は、とにかく日常生活のふとした瞬間に「ああ、これを英語で言うにはどうしたらいいんだろう」と考える事でなんとか切り抜けましたが、そう言う時に感じたのは、
まず伝えたい事を日本語で考える
↓
それを英語にできそうな文章に変換する
↓
英語に変換する
というプロセスの重要性でしたね。
ちなみに最近知ったんですが、機械翻訳サイトでは主に中間言語方式というのを採用しているらしいですが、これはまさに上記のプロセスそのままなんですよね。
英語、というより他国語教育 |
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教育 |
なぜ日本人は外国語に弱い(と言われている)のか。
むしろなぜヨーロッパの人達はあんなに自分の周辺の国々の言葉を理解し、喋れるのか。
なんとなくそれが分かった気がしたので書いてみる。
先日某輸入雑貨店でお菓子を買ったんだけれども、
パッケージの裏にカロリーとかの成分表示が書いてあった。
それでよく見てみたら英語、ドイツ語、あともう一カ国語(イタリアなのかスペインなのか分からんけどそんなの)で書いてあった。
それで調べてみたら、この表示は別に輸出用だからこうなってる訳じゃないらしく、
国内向けでもそういう風になっているらしい。
もしかしたら日本では日常生活において他国語と自国語の並列表記のされた製品が少ないのが(あるいは「少ないのも」)、他国語下手な原因じゃないのか。
少なくとも生活必需品を外国語で何と言うか、それを理解しているか居ないかだけでも、大分苦手意識みたいなのは変わってくるんじゃないだろうか。
もし文科省が外国語教育に熱を入れるなら、まずはお菓子の裏面を2カ国語表記にしてみるのがいいかもしれない。
ストリートとカウント |
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日記 火曜 |
2時に床で寝て3時半に起きて、そのまま部屋で寝て7時前に起きた。アルコールを飲まずに早寝したおかげで夜が長い。朝食はコンビニで買ったおにぎり。ひとつは和風ツナマヨ、もう一つはホワイトカレー。名前の通りの中身と味だった。コンビニでは話題のananも買ってみた。目指せ脱…。昼食はお弁当、今日もおいしい。
会社ではグーグルマップスのストリートビューが話題になっている。自宅がはっきり見えている人や、自転車に乗っている姿がしっかり写っている人もいる。顔、ナンバープレート、広告などにはぼかしが入っている。これらを手作業で入れたのだとしたら凄い手間だ。
ある文学作品に登場する漢字・ひらがな・カタカナ・アルファベット・数字・記号の統計データを作成したとする。そのデータの持ち主は誰だろう?苦労してカウントしたデータ作成者だろうか。仮にその文学作品が執筆から校正までフルデジタルで行われたとしたら、その情報は極めて低いコストで作製することができるが、その場合の持ち主は誰だろう。
答えは「そのデータの持つ価値で決まる」じゃないかと思う。もしそれが何らかの価値を持つなら、いろんな人が喧嘩して決めるだろう。
「死ねば良いのに」考 |
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死ねばいいのに |
「死ねば良いのに」
自分はその言葉を昔から使っていた。ダウンタウンの某番組が始まるより、遥かに前の話だ。
とりあえず結論だけ言えば、「死ねば良いのに」という言葉の存在ーそれを公共の場で使ったり、人に向けたりーに拒絶反応をする人は、「自分には生きる価値が有る」と思っていたり、あるいは自分の人生を他人の不条理によって歪められる事の無い幸せな人なんだろう。
■
自分はある時から、自分に生きる価値がある思えなくなってしまった。
生を望めなくなってしまった。生きなければいけない理由がなくなってしまった。
それは自分のどうしようもなさに気づいた時からかもしれないし、
他人から評価をされない自分に気がついたときからかもしれない。
いずれにしても、自分という存在が、どうにも無価値にしか感じられなくなってしまった。
だから「死」に対して特別、拒否感嫌悪感は抱いていない。
■
「人間が生きることは何ものにも代えられない」
拒絶派が「死ねば良いのに」を否定する理屈は主にそこだったりする。
だが、例えば2000万人を粛正したスターリンを、「死ねば良いのに」と考え、その死を公然と願うことは、間違っているのか。
ある人間によって、自分が受容できない程の被害を被るような場合、その人間の考えを変えられないとしたら、あるいはその人間の行動をどうやっても自分では止められないとしたら、もはやその人間の死を願うことしか被害者には出来ない筈だ。それは間違っているのか。
死は時としてその他の選択肢と天秤にかけられる。
それゆえ、死は相対的なものであって、絶対的ではない。
■
「死」をあまりに敬い、忌避しつづける連中というのは、「死」を絶対的な終焉と見なすが、それはそいつらが主観的にしか物を見れないからだろう。だから主観的な絶対的終焉に対して異常なまでの恐怖と忌避感を抱く。
だがそういう奴は総じて、他人の考えを理解できないし、また自分が他人に迷惑をかけても自覚していない。
そして自分のネガティブな側面に気づかないまま生を謳歌している。
別にKYな連中に対して俺は拒絶したりしない。多数から一方的に自分の行動を否定される事の不条理さを知っているから、たとえKYでも優しく見守ることにしている。
だが、それが自分に対して言論弾圧を行うなら話は別だ。
しかも彼らの行動の論拠は忌避感という一方的な感情論ときている。
■
「死ねば良いのに」
俺がその言葉を最初に使ったのは他人に対してではない。自分に対してだ。そこから始まっている。
だから拒絶派に対して言いたい。
もし「死ねば良いのに」という言葉を否定したければ、俺に、生きる価値を与えてくれ。生きたくなるような世の中にしてくれ。明日を絶望させるような政策を実行しようとしている連中の考えを合法的に変えてくれ。
http://g9e8mk.sa.yona.la/49 |
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別に現実逃避じゃないと思うよ。
明日や将来に何かを欲しいと思うから、それを手に入れるために今頑張れるのであって、
そういうのは全然普通の事だと思う。
ちなみに、自分が数年前通ってた予備校の講師の名言にこんなのがあります。
「先生ってのは、ただ『先』に『生』まれただけで、偉くもなんともないんですよね。
私が学校の先生になれなかったのは、教員試験の面接で面接官の校長があまりにふんぞり返って偉そうな口ぶりなもので、もう教師になんてなりたくなくなって頭に来て言っちゃったんですよ。
『私も貴方もお互いただの人なのに、なんでそこまで言われて黙ってなくちゃならないんだ』って」
嫌な気分になるっていうのは、まだ貴方がまっすぐに生きているからそう思うのであって、
そして自分はもうそれほどまっすぐではないから、貴方のまっすぐさが羨ましい。
なのでそのままでいいと思うよ。
http://gvhqe8.sa.yona.la/35 |
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日記 火曜 |
20時半くらいに退出。晩ご飯は、ラーメンサラダとジャガイモ料理など。飲み物はゲロルシュタイナーのみ。ビールと違って満腹感がある。
1時くらいに寝る事にしよう。
またあえたらいいね |
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日記 月曜 |
昼食はお弁当。おいしかった。
今日は妹の命日だ。生前の本人の意志により墓はない。両親は写真を飾ったり線香をあげたりするために仏壇を用意したが、仏教のルールは全く気にしないで使っている。
妹が命を絶ってしまった本当の理由は未だに解らないしこの先も解りそうもない。何年もかけて、いろんな後悔をしながら考えることになるだろう。そして彼女が好きだった馬鹿馬鹿しくて意味のない文章を書き続けていこうと思う。
夕方中抜けして歯医者に行った。今日は土台を入れた。歯科技術は年々進歩しているが、中でも接着剤は格段に良い物になっているとExciteコネタで読んだ事がある。今日、作ってもらった土台を歯にはめ込む際もわりと短い時間で接着された。土台自体も昔より小さく作られている。年をとって歯が全部駄目になる頃には入れ歯の接着技術も進んでいることを期待しよう。
無意味と無駄を積み重ねるだけの日々でも良い、長生するのさ。
照明と所用 |
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日記 土曜 |
6時に二度寝して8時に起きた。朝食は炒めご飯。
午前中は居間の照明を付け替えた。引っ越してきた時に買ったものだ。買い換えた理由は幾つかある。
・小さいとはいえ電球が8つもあって明るすぎる。このため半分だけつけてたが、なんだかもの悲しい。
・口金が小さくて蛍光灯タイプの電球が少ない。
・冷暖房効率を良くするためにシーリングファン(天井でくるくる回る羽根)をつけたい。
取り付けはそれなりに手間がかかったが無事終了。照度調整が出来る蛍光灯電球を明日買ってくる。
昼からは所用で出かけた。昼食はラーメン。あとでプレスケアを買って飲んだ。ぼりぼりくにゃくにゃした感触が面白い。21時に用事を終えて家に向かう。夕食はコンビニの弁当。発泡酒と缶カクテルを2本飲んで0時くらいに床で寝て3時半に起きた。
この後もう少し寝る。
ノイズキャンセリング |
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本来、平等で無淘汰な言説というのは、人類史には存在してこなかった訳で、
そう言う意味ではスラッシュドットのようなしきい値の存在する、正当な淘汰と不平等の存在するコミュニティのほうが、自然である、というのは確かなんですよね。
とはいえ、誰もが嘗てはガキであり厨房でありクレクレでありググレカスであったように、
プライマリーな人達を排除するのも、それはまたコミュニティの新陳代謝の阻害と文化の過疎化を招くのでよろしくない。
そこで理想的なのはグループ内に相互承認による位階制を作り、「この人は自分と同じレベルである」と思った人を承認していくことで、内部に階層構造を作り、下は下、上は上で緩やかな「連続」と「断絶」を持つコミュニティにすることなのかなあ、と思っている次第。
例えば同じ位階のユーザー同士のコメントは普通に表示されても、下層ユーザーのコメントが上層ユーザーには表示されなかったり、あるいは上層ユーザーしかコメントできないトピックがあったり、またある位階のユーザー間で好評価なコメントは上層ユーザーにも表示するみたいな。
まあ上手い事相互承認のアルゴリズムをポイント制にするなどしてバランスを取らないと、ただの派閥争いになったり下らない自尊心を満たすためだけの場になってしまうのが欠点だろうと思いますが。
今とか昔とか |
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日記 土曜 |
仕事は来週にまわして早めに帰る事にした。確か19時過ぎには出ていたと思う。レッツ怠惰。
夕食はモスチキンとサラダ多数とオニオンリングなどなど。発泡酒2缶と泡盛を飲んだ。何時に寝たか覚えてないが、多分0時前には床で寝てしまったはず。3時半に猫に揺すられて目が覚めた。
以下、人からの受け売り。
昔の物が良かった(面白かった)と思えるのは、良かったものが時代の淘汰に耐えて今に残っているからであり、昔から良くない物は山のようにあった、というか今と同様にほとんどは駄目な物だ。その駄目な物を取り除いて圧縮した固まりを昔と呼ぶものだから「昔は良かった・今は駄目」と錯覚してしまいそうになる。
この話をしていたのがオールディーズマニアの山下達郎であるという点が興味深い。
夢と舌 |
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日記 金曜 |
普段通りの時刻に家を出て、途中コンビニでサンドウィッチとおにぎりを買って、会社で朝食。昨日とあまり変わっていない。
昨日、十分に寝たせいか午前中から頭が冴えず、すぐ眠くなる。起きたまま変な夢を見てしまう。さっきは、メールを打っている途中で眠くなり、メールの活字を組んで送る夢を見た。あと、メーラーやワープロで打っている文字が微妙に上下にずれていて、それを手でとんとんと揃える夢もよく見る。
歯医者で困る事が2つある。ひとつは「舌をどうするか問題」だ。もう一つは恥ずかしいから言わない。舌が治療器具に触れるのは、痛そうだし、熱そうだし、金属の味がして不快になりそうだし、とにかく嫌なので、常に逃げ回っていることになる。とても忙しい。ただ、そうやって舌を動かす事で歯医者さんの邪魔をしているんじゃないかという懸念もある。どうすれば良いのだろう。治療している口の中をモニタで見せてくれたらいいのに。
これから昼食。お弁当を食べるよ。
Re: http://vfb4ac.sa.yona.la/34
http://g9e8mk.sa.yona.la/45 |
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Reply |
> 他人との比較の中で生きていない人も世の中にはたくさんいる
けれどそういう生き方を目指そうとすると、その動機の時点で
「他人と比較せずに生きてる人への劣等感」
になっていて、既に他人との比較なので、
ああもうどうしようもない、と思ってるんですよね。
ちなみに「無限循環性ナルシズム」と命名しました。
ああ、でも。
「今日が駄目でも明日は良くなる可能性がある」
というのも同じく座右の銘なので、なんとか生きてます。
おはようございまっす |
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日記 金曜 |
昨日は20時くらいに退出。この楽な日々もそろそろ終わりそうだ。夕食は冷やし中華とスモークチキンとモツカレー(ライス無し)などなど。飲み物は発泡酒2缶とワイン。
0時くらいに廊下で寝た。3時に目が覚め布団に移動して6時に起きた。ここ数日寝過ぎの傾向にあるので、少し減らそう。
ネットではあちこちで「ポーニョ ポーニョ ポニョ」の文字が見られる。映画のテーマソングらしい。聴いた事ないけどこんな感じの歌なんじゃないかと思う。
♪ポーニョ ポーニョ ポニョ ポニョ人間 ポーニョ にんげーん にんげーん
昨日の国コードの話。be はベルギーと書いたが、ve という手もある事に気付いた。姓が渡辺の方々はローマ字表記を少し変えて watana.ve ドメインなんかどうだろう(田辺さん、物部さん、春日部さんも)。ただ ve はお名前.comでは取り扱っていない。ベネズエラだからだろうか。単純に需要が期待できないだけかもしれない。
今日の朝食は未定。少し早めに出社して早めに帰る予定。
絶望という言葉の、美化された感じが嫌い |
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どうしようもない |
まあ、そういうこと。
たとえば、他人が頑張っていて、自分は自堕落な生活を送っていて、
そんな自分の自堕落な生活が嫌になったその理由というか感情が、その他人への劣等感だったりした時の事。
結局そんな時ですら他人と自分を比べたいのか、と思うと、死にたいという感情すら湧いてこない。
何故ならその「死にたい」って感情も、劣等感によるものだから。
つまり、
それ以上自分を嘆くのも、
自分を否定するのも、
あるいはそこから一念発起して立ち直るのも、
全て「劣等感」がその動機であり、
どの選択肢もあまりに下衆すぎて、
じゃあそんな下衆な自分をどうにかしようと思うのも、結局は劣等感。
血管に流れてんのは劣等感なんじゃないかって程に、どこまでも劣等感。
そのあまりのどうしようもなさに、
ああこういうのが絶望感なんかな、とか思ったりしたけど、
そんな美化された感じが何か違う気がして、
つまり絶望もできないのかと思い、
それ以来、座右の銘は「どうしようもない」にしている。